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● 2015年10月4日 「主はぶどうの木」
 

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、
実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。
わたしも、あなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。
同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

(ヨハネ 15章1〜5節)

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父なる神様はこの地上の誰にも勝って優秀な農業の技術を持っておられます。
その神様がイエス様の木と枝なる私たちに実を実らせると約束してくださったのですから、これほど完璧なことはないのです。
ただ神様とイエス様は良いのですが、肝心の実をつける枝である私たちが重要なのです。
聖書はイエス様に繋がっているだけで実を結ぶと言っています。
どのように結び合わされることが必要なのでしょうか。
 

1. 人の努力によっては実は結ばない
 

クリスチャンは救われたのちに、熱心に努力をするものです。
信じることや祈り、奉仕と頑張るのですが、人の頑張りでは神様の実を結ぶことはできないのです。
もし人の努力で物事を変えることができるなら、この世は変わり幸せな人で満ちることでしょう。
神様は枝に実を結ぶ力と養分を供給されるのです。
私たちはただつながっているだけなのです。
 

2. イエス様は私たちに実りの力を注ぐ
 
a. イエス様から来る養分は罪の赦しの養分です。
人は罪を犯したので神様の栄光を受けることができないのです。
神様は人を栄光の姿に創造され、限りない祝福の人生を約束されました。
この祝福を人は自ら拒絶したのです。
神様を信じない頼らないこと、罪を犯したのです。
この罪は私たちが人生に実を結ばないようにしているのです。
イエス様はこの罪を赦し、罪の呪いから解放して下さったのです。
 
b.

次に癒しの養分です。
人は長い間の罪の人生から多くの傷を受けてきました。
否定的で挫折感の中に閉じこめられてきたのです。
心は傷つき人生は傷だらけになっているのです。
この傷が癒えなくてはなりません。できない不可能だという人生観からできると言う人生観に変えられなくてはなりません。
イエス様は私たちの代わりに傷を受けて癒して下さいました。
 

c. 人生を祝福に生きる力を下さいます。
古い汚れた性質から神様の良い性質に生まれ変われるようにしてくださいました。
人のものではない愛・喜び・平安を持てるようにしてくださいました。
枝である私たちが整えられて実を結ぶにふさわしいように新生するのです。
 
3. イエス様と結ばれる
どうしたらつなぎ合わされるのでしょうか。
イエス様の言葉にとどまるのです。
神様の言葉が心に影響を与えるほどに言葉が人世に溢れていることです。
神様の言葉が足の灯のようになっているでしょうか。
次に愛の中に生きる
イエス様は神様の愛を十字架で現してくださいました。
この十字架の愛を感謝して生きることです。
罪赦されたことを、神様から愛されていることを、イエス様が重荷を取り除き人生を導いてくださることを感謝して生きるのです。
その時にイエス様と私達は一つとなって、豊かな実を結ぶ人生になっているのです。
 
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