それから、イエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
人は、たとい全世界を手に入れても、
まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
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(マタイ 16章24−26節)
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クリスチャンはイエス様に従っているものですが、知らないうちにイエス様から離れて歩んでいることがあるのです。
そんなことにならないためにイエス様に従う者の心得を学んでいきましょう。
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1. |
自分捨てる |
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弟子たちは自分の家族やその職を捨てて従いました。
それは自分の命を惜しむことがなくイエス様に従ったのです。
ペテロはゲッセマネの時にイエス様を知らないと言って自分の命を得たのです。
私たちはイエス様を信じることによって色々なリスクを負うことになります。
しかし神様の祝福としての永遠の命と人生の祝福を約束されるのです。
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2. |
十字架を負う |
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イエス様を信じるときに、人々は私たちを避けるようになるのです。
理解されず非難を受けることもあるでしょう。
また神様の愛を理解しないで非難を受け損益をこうむることがあるでしょう。
でもイエス様はそのすべてを祝福に変えてくださり、有り余る勝利に満たしてくださるのです。
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3. |
イエス様に従う |
聖書は私たちに人生の生き方を示しています。
イエス様が父なる神様に従順に従われたように、私たちもイエス様に従うのです。
どんな重荷でもイエス様はともに負ってくださるばかりか、取り除いてくださいます。
人生は重荷ではなく喜びに変えられるのです。
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4. |
神様からの報い |
これほどの努力をして神様からやってくる約束されたものはどんなものでしょうか。
それはこの世の価値が逆転するのです。
この世に富むものが貧しくなりイエス様に従う者が富むものになるのです。
真の命を得ることと褪せていかない祝福に心は満たされていくのです。
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