しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
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(ガラテヤ 2章19・20節)
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イエス様は私たちクリスチャンにどのような生き方を求めておられるのでしょうか。
律法学者やパリサイ人に優る義人でなくては天のみ国を見ることができないと言われ、更に多くの戒めを残されました。
その中で敵を愛すること、赦すことを強調されたのです。
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1. |
目には目で |
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この言葉は困難をもたらせた者に復讐することを容認したものではありません。
罪を犯した者はその罪に値する罰を与えよという教えなのです。
それが異邦人であっても同国人であっても正当な罰を与えることを教えています。
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2. |
ほほを打つ者に |
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自分に災いをもたらす者に対しては喜んで身をさらしなさいというのです。
昔ビブレーというボクサーがいました。
彼はクリスチャンになって後、昔の対戦相手がクリスチャンになったビブレーは抵抗しないことを知り打ったのでした。
その時にキリストの愛を説いたビブレーの言葉に責められ、心打たれクリスチャンになったというのです。
キリストの愛はどんな言葉よりも人を回心させる力を持つのです。
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3. |
下着に上着さえ与える |
下着を取る者に上着さえも与えよというのです。
上着は神様が保証された人の生きる権利です。
律法も上着を取り上げたままで夜を過ごさせてはならないと教えています。
この最低限の権利さえ奪うものに喜んで与えなさいと言うのです。
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4. |
1マイル行かせる者には2マイル行け |
当時ユダヤはローマに支配されていました。
各地に伝令所がありユダヤ人を無理やりに伝令に徴収したのでした。
いやいや従うのではなく、喜んですべての取り決めに従うようにしなさいと言うのです。
すべての権威の上に居られる神様を信じ、謙遜な生き方をせよと言うのです。
そのためにイエス様は模範を示されました。
神様のみ子という栄光と権威の上着を捨て、下着を奪うものにすべて与え、最後にはその命さえも捧げられたのです。
それは天の神様に信頼し、すべての裁きを委ねておられたのです。
その従順のゆえにすべてに優る名が与えられ、すべての権威に優る者になられたのでした。
このためにはクリスチャンは肉に死にキリストに生きなくてはなりません。
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