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● 2015年6月7日 「聖餐式の意味」
 

また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、
これを裂き、弟子たちに与えて言われた。
 「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。
 「みな、この杯から飲みなさい。
 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
 ただ、言っておきます。
 わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、
 わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

(マタイ 26章26〜29節)

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私たちの教会では月に一度パンとぶどうジュースで聖餐式を行っています。
カソリックや一部のプロテスタント教会ではぶどう酒を用いていますが、酒に飲まれないという配慮や、聖書が強い酒を禁止していることもありジュースを用いています。
この聖餐について学んでいきましょう。
 

1. 聖餐の意味
 

イエス様は過越の食事の時にこの聖餐について話されました。
過越の儀式はかつてイスラエルの民がエジプトで奴隷であった時、神様がモーゼを遣わし10の奇跡をもって連れ出してくださったことの記念でした。
その最後の奇跡の時に神様の裁きである死が子羊の肉と血によって過越し救いを得たことが、すなわちイエス様が十字架につき、その体とその命すなわち血を流すことだと言われた。
この記念するために聖餐式を福音が伝えられるすべての所でしなさいと言われたのです。
カソリックはこの聖餐のパンに神様が宿ると考えてパンを信仰の対象として扱い、マルチン・ルターはこの聖餐の時に神様が下られると考えたのでした。
この考えは日本の神社と同じで祭りの時に社に神様が降りて来られるとしています。
そうではなくイエス様は記念としてこれをするように言われたのでした。
 

2. 血の契約
  イエス様はこの聖餐の時に飲むぶどう酒は人類のために流す新しい契約の血だと言われました。
かつて神様は人と契約を結ぶときに血を要求されました。
血は命であるとレビ記にあるように、神様と人の命の契約を結ぶのでした。
アブラハムやモーゼを立ててイスラエルの会衆と契約を結ぶとき生贄を二つに裂きその間を契約の徴として通られたのです。
それは契約の保証人として、またこの契約を破る者はその代価は死であるという意味があったのです。
アブラハムの時、神様は生贄の間を通り神様ご自身が保証人になられたのですが、モーゼの時には十戒の石と会衆に契約の血が降りかけられたのでした。
この時の契約は十戒を守る者に神様は契約を守るが、そうでないものは裁きを受ける契約なのでした。
イエス様の十字架の契約は再びイエス様が生贄であり契約の保証人なのです。
神様ご自身が信じる者を救いに導くことを保証されたのです。
どんなことがあっても神様はイエス様が救いの代価をすでに払われ、救いを完成させる保証人となられたために人類を救いに導かなくてはならないのです。
これが聖餐式の時に語られ、確認されなくてはならないことなのです。
パウロは福音書に先立ってコリント書を書き、ふさわしくないままで聖餐式に与かってはならないと戒めているのです。
 
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