また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、 これを裂き、弟子たちに与えて言われた。 「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 ただ、言っておきます。 わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、 わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
私たちの教会では月に一度パンとぶどうジュースで聖餐式を行っています。 カソリックや一部のプロテスタント教会ではぶどう酒を用いていますが、酒に飲まれないという配慮や、聖書が強い酒を禁止していることもありジュースを用いています。 この聖餐について学んでいきましょう。
イエス様は過越の食事の時にこの聖餐について話されました。 過越の儀式はかつてイスラエルの民がエジプトで奴隷であった時、神様がモーゼを遣わし10の奇跡をもって連れ出してくださったことの記念でした。 その最後の奇跡の時に神様の裁きである死が子羊の肉と血によって過越し救いを得たことが、すなわちイエス様が十字架につき、その体とその命すなわち血を流すことだと言われた。 この記念するために聖餐式を福音が伝えられるすべての所でしなさいと言われたのです。 カソリックはこの聖餐のパンに神様が宿ると考えてパンを信仰の対象として扱い、マルチン・ルターはこの聖餐の時に神様が下られると考えたのでした。 この考えは日本の神社と同じで祭りの時に社に神様が降りて来られるとしています。 そうではなくイエス様は記念としてこれをするように言われたのでした。