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● 2015年5月10日 「アブラハムの信仰に習う」
 

このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののように
お呼びになる方の御前で、そうなのです。
彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。
それは、
 「あなたの子孫はこのようになる。」
と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

(ローマ 4章17・18節)

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アブラハムという人物はその信仰の故に信仰の父という称号を神様から与えられました。
信仰の創始者であり完成者はイエス様ですが、人としての信仰の模範はアブラハムから学ぶことができます。
 

1. 人は神様によって創造された
 

最初の人間アダムは神様の息によって生きるものになりました。
そして万物の支配しその中で祝福を生きるようにされたのです。
今イエス様を信じる者は再び新しく創造されるのです。
ですから過去に囚われずに、今神様のみ手で新しくされたことを受け入れなくてはなりません。
 

2. 義とされている
  義とは一度も罪を犯したことがない聖いことなのです。
今までの罪は十字架によって精算されました。
罪の代価としてイエス様が苦しみを受け、死の裁きによって 罪の精算が完成しています。
信仰を持った時に罪なき者に生まれ、二度と罪に支配され、裁きを受けないでよいように永遠の赦しを受けているのです
 
3. 恵みを受けるために
12年間の長血の女のように信仰によって 求めるものでなくてはなりません。
イエス様を信じて、自分の願うことがなると確信し、その信仰の中に生きるのです。
イエス様に出会うその時まで、奇跡を受けるその時まで、癒された自分を受け入れていたのです。
その世に考え、思いめぐらし生活をするのでした。
奇跡を受けた時に、イエス様はこの女に「あなたの信仰があなたを癒した」と言われました。
この女の信仰が神様のみ手を動かしたのです。
 
4. アブラハムの信仰
彼の行動をみると決して褒められるものではありませんでした。
故郷の家を出るときロトと多くの僕たちを連れて出発しましたし、カナンの地に飢饉が来るとエジプトに下り罪を犯し、86歳の時は神様の約束を信じ切れずにイシマエルを得たのです。
でも彼は神様を最後まで信じる者でした。
信仰こそが祝福を持たらせたものだったのでした。
 
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