TOP
 

● 2015年4月12日 「主の祈り(2)」
 

だから、こう祈りなさい。
 『天にいます私たちの父よ。
 御名があがめられますように。
 御国が来ますように。
 みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
 私たちの負いめをお赦しください。
 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』
 〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

(マタイ 6章9〜13節)

右のボタンを押すと、音声メッセージが流れます。
 

主の祈りの後半はこの世でクリスチャンがどの世に神様の御栄を現すのかを教えています。

 

1. 日ごとの糧を与えたまえ
 

祈りというものは抽象的なものではなく現実の生活に関わるものだということです。
もちろんキリスト教はこの世の宗教のように現世利益を求めるものではありません。
しかし仏教のように心の修行や悟りにばかりを求めるものではありません。
私たちはこの世で生きていくためにパンを求める必要があります。
この世のパンと人に生きる力を与える神様のくださるパンを求めるのです。
この食物は日々神様から求めなくてはなりません。
クリスチャンはこの世のパンではなく、神様のくださるパンによって生かさされていることをこの祈りによって知るのです。
 

2. 負い目を赦してください
  日々神様から力をいただき、その赦しの中に生かされていることだけでも感謝すべき者です。
又神様の御心に生きているつもりが、自分勝手な祈りや自分の欲望に負かされる存在です。
その愚かさを赦して下さるように日々祈るものでなくてはなりません。
人の負い目を赦す代価として負い目を赦して下さいではなく、神様の赦しを受けている私たちは当然のこととして人の負い目を赦すものでなくてはなりません。
 
3. 試みに合わせず悪から守ってください
神様からやってくる試みは訓練として祝福につながるものですが、悪魔の試みは罪の呪いと死に至るものです。
この試みとは悪魔からの試練から守られるように祈るのです。
人は弱い者で神様の御守りの中にあって、初めて勝利ある生活を送れるのです。
 
Copyright (c) Osaka Christ Glory Church. All Rights Reserved.