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● 2015年2月15日 「教会を建てる」
 

イエスは彼らに言われた。
 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えて言った。
 「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。
 「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。
 このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
 ではわたしもあなたに言います。
 あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。
 ハデスの門もそれには打ち勝てません。

(マタイ 16章15〜18節)

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多くのクリスチャンはイエス様に対して間違った考えを持っています。
それはイエス様が良い見本を示されたのだから、私たちもそれに見習わなくてはと努力するのです。
パウロもクリスチャンはイエス様と同じ思いを持つように勧めていますし、私がキリストを見習っているようにあなた方もキリストにならえと言っています。
しかし神様は私たちに自分の力と努力によって従えとは言っていないのです。
私を強くしてくださる方によって強くなり何でもできると思っているのですが、人の能力ではイエス様のように生きれないのです。
力が注がれているときは、賜物が臨んでいる間はいいのですが、臨在がなくなると弱い者に戻ってしまうのです。
ではどうすればよいのでしょうか。
 

1. イエス様は私たちの命
 

イエス様の命が私たちの命になったのです。
私はアダムの罪の命に死に、キリストの命の復活したのです。
キリストの命が現れると私もキリストの内にあって栄光の内に存在するのです。
この命は私たちを導くのです。
 

2. キリストの命は目標ではない
  次に犯す間違いは、キリストの命が信仰生活の目標になってはならないのです。
キリストの命は追いかけて得るものではなく、私たちの内にあるもので私たち自身なのです。
 
3. この命を得るには
私は生きてなくキリストが生きていると自覚するのです。
それは十字架の死を日々認め、自分に死にキリストに生きる生活をすることです。
具体的に日々起こってくる肉の思いを否定無視し、私はキリストと共に十字架で死んだ、もう今までのようには生きないと決心する生活に生きるのです。
そして聖書の言葉を受け続ける生活をするときにキリストの命が内から私たちを助けるようになるのです。
 
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