しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。 私はキリストとともに十字架につけられました。 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった 神の御子を信じる信仰によっているのです。
イエス様は私たちクリスチャンに対して私のように生きよと言われました。 しかし人が自分の力で信仰生活をすることは望んではいません。 キリストの命に支えられてイエス様に従うことを願っておられるのです。 神様の力や賜物を求めて、強められて神様の業をするのではなく、キリストの命の中で神様の業をするのです。 ではどうすれば実現するのでしょうか。
イエス様を信じた時にその人は古いアダムの命からキリストの命に生まれ変わったことを信じるのです。 もし私たちがキリストの命に新生したことを意識しないなら、古い命の習慣に捉えられ続ける人生になるのです。