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● 2015年1月25日 「生ける水」
 

それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に
来られた。
そこにはヤコブの井戸があった。
イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。
時は六時ごろであった。
ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。
イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
そこで、そのサマリヤの女は言った。
 「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めに
 なるのですか。」
――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
イエスは答えて言われた。
 「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者が
 だれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。
 そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

(ヨハネ 4章5〜10節)

イエス様はスカルの井戸で座っておられると、一人の女が水を汲みにきました。
その女に井戸の水はすぐに乾く水だが、神様が与える水は乾くことがなく、その人の内で永遠の水となる。
その水を求めるように言われました。
この女はイエス様から祝福され生まれ変わった人生を送るようになったのでした。
 

1. 人生の渇き
 

人は人生の渇きを潤すために努力するものです。
金銭や権力、家族や知識に求めるのですが、どれも人を満足させることはできません。
この女も5人も夫を変えたというのです。
よほど魅力的で実力のある女だったのでしょう。
でも誰からも渇きを癒されることはありませんでした。
人生の渇きはこの世のどんなものによっても潤すことはできないのです。
天地を創り、この世のすべてのものに命を与えた神様によらなくては潤わないのです。
この命の水を得ることなしには人生の真の価値を得ることはないのです。
 

2. この命の水を得るには
 
a. イエス様は命の水を知ったなら私に求めるであろうと言われました。
まず求めることをしなくてはなりません。
与えてくださる方を知ったなら求めるのです。
 
b.

求めても得ることが難しい時は、神様と自分の間に咎めがないか吟味するのです。
神様は祝福の神様で、求めるものに与える方です。
でも受けることができないなら罪の問題があるのです。
 

c. 神様の祝福はイエス様を通してでなくては受けることができません。
イエス様の十字架が私たちの信仰の土台となっているなら、その人の内で泉となって命の水が湧き出てくるのです。
 
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