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● 2015年1月18日 「哀れみに生きる」
 

あわれみ深い者は幸いです。
その人はあわれみを受けるからです。
心のきよい者は幸いです。
その人は神を見るからです。
平和をつくる者は幸いです。
その人は神の子どもと呼ばれるからです。

(マタイ 5章7〜9節)

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マタイ書の中に主の祈りというイエス様が教えられた祈りがあります。
この前半は神様の祝福に与かるための内側の心構えを教えていて、後半は積極的な部分です。
 

1. 憐み深いものになれ
 

この世に生きる人々の生きる動機は愛に基づいています。
自分を愛し、家族、社会、国家、民族を愛するために苦労し努力をするのです。
しかしこの愛に憐みの心がないなら、この愛は争いや憎しみを生み出すのです。
憐みとは相手の心を理解しようとする心です。
悲しむもの、喜びをともに共有しようとする心です。
この憐みは多くは同じ痛みを持つことを要求します。
この不可能なことを実現させることが神様にあってできるのです。
神様の憐みを受けるほどに自分自身の罪とみじめさを知るとき、隣人を憐みの愛を持って受け入れることができるのです。
そしてこの憐みを持って他者を愛する者は神様の憐みを得て祝福の地に入れるのです。
 

2. 心の聖い
  心が聖い人は神様を見るというのです。
この夢のようなことが実現するというのです。
多くの問題は神様に出会うときに祝福に変えられ、答えを得るのです。
人々は外側を変えれば心も聖くなると考えます。
でもイエス様は宗教家を責められたようにうちは清まることはありません。
どうすれば心も行いも聖い生活ができるのでしょうか。
聖書は聖いとはこの世のものに心が向いていないことを言うのです。
神様のこととこの世が心にあり二心な者を戒めています。
神様に支配された心は行いにおいても聖くなるのです。
 
3. 平和の人になるのです
  イエス様は父なる神様と人を結び合わせるために来られました。
罪の垣根を除くために十字架で犠牲になられました。
このイエス様の人生にならうのです。
平和を乱すものではなく積極的に争いの中に入り込み平和を生み出す者になるのです。
これこそ神様の子にふさわしいクリスチャンの生き方なのです。
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