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● 2015年1月11日 「人を赦す者になる」
 

昔の人々に、
  『人を殺してはならない。
  人を殺す者はさばきを受けなければならない。』
と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。
兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。
また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれている
ことをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、
出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。
それから、来て、その供え物をささげなさい。
あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。
そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、
あなたはついに牢に入れられることになります。

(マタイ 5章22〜25節)

人を赦すということは難しいことです。
赦せないことが普通であり逃れることができないと人は考えて、苦しみや恨みをバネにして生きているのです。
しかし神様は祭壇に捧げものをするときに、この負債を思い出したなら払うように命じられました。
この赦すという負債を果たさないなら神様もあなたを赦さないばかりか、払いきらないなら牢獄から解放されないと言われるのです。
 

1. 赦す人生
 

旧約のヨセフは神様からイスラエルを救う使命を夢で見ました。
それを兄弟たちに話したことで憎まれてしまいました。
そして奴隷としてエジプトに売られてしまうのです。
その中でもヨセフは兄たちを赦すことを決意しました。
仕えていた家の主人はヨセフには神様がともにおられると感じ、家のすべてを任せるようにしたのです。
そののちも理由のない恨みをかい、牢獄に入れられても信仰によって赦しの生活を続けるのでした。
後に夢を解き明かすことによって、エジプトの危機を回避する王の信頼される側近になるのです。
 

2. 愛に生きる
  人は苦難や憎しみの中にあって逃れることができないと思っているので、恨みと憎しみの中で捉えられて生きているのです。
クリスチャンは神様が赦して下さったので赦す努力をしますし、神様の命令と思って赦すのです。
でも限界があり苦しむうちに知らないうちに神様に対する憎しみや怒りを持つのです。
最近の映画の「神様は死んでいない」、「天国は本当にある」の中でも、愛がすべての解決をもたらすことを教えています。
赦そうと努力するのではなく、苦しみを忘れようと信仰に立つのでもなく、まず神様の愛を受けいれるのです。
どんなことにも神様の愛を信じることで赦しが完成するのです。
 
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