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● 2014年11月30日 「神様のみ業」
 

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。
 「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。
 この人ですか。その両親ですか。」
イエスは答えられた。
 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
 神のわざがこの人に現われるためです。

(ヨハネ 9章1〜3節)

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イエス様は道端に物乞いをする生まれつきの盲人に目をとめられた。
その時、弟子たちはイエス様に「この盲人が生まれつきなのは、この人が罪を犯したためですか、それとも両親ですか」と尋ねました。
イエス様は「この人が罪を犯したでも、両親が犯したのではありません」「神様の栄光が現れるためだ」と言われました。
これは人の人生に起こる苦難は過去にその原因を探り、苦しみもだえるものではなく、未来に向かって祝福を求めて行くものだと言われたのです。
 

1. クリスチャンの人生観
 

過去に生きるものではなく、未来に向かって生きていくものです。
過去には現実を変える良いものは何もありません。
未来を創造し現実を変えることのできる神様を信じていくのです。
 

2. この盲人が受けた恵み
 
a. 唾で泥を作って目に塗られシロアムの池で洗うように言われた。
この盲人はこの意味のないことに従わなくてはなりませんでした。
しかし神様の祝福を信じるならその言葉に従わなくてはなりません。
 
b.

従った盲人の目が開いたのです。
でもまだ完全ではありませんでした。
おぼろげに見えるだけで、その時に目を開いた方はイエスという名前の人としての認識でした。
 

c. 次に預言者であるイエス様のところまで開かれたのです。
このところでこの盲人は神様の祝福に人生が変えられたのです。
 
3. 主としてイエス様を迎える
  そのあとその心の目が開かれイエス様を主として信じることになりました。
その人生は神様と歩むことがすべての祝福に預かると悟ったのです。
私たちもどんな困難の中でも主がともにおられることを悟ることができれば幸なことでしょう。
 
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