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● 2014年11月2日 「キリストの弟子となる」
 

イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。
彼らは湖で網を打っていた。
漁師だったからである。
イエスは彼らに言われた。
 「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨てて従った。
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブと
その兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、
ふたりをお呼びになった。
彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。
イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、
民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。
それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、
てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。
イエスは彼らをお直しになった。
こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から
大ぜいの群衆がイエスにつき従った。

(マタイ 4章18〜25節)

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イエス様を信じるときに私達は神様の子供として新生を体験します。
でもその時には生まれたばかりの幼子のように力もなく罪とこの世の影響下にあります。
確かにイエス様は罪に弱い人を憐み赦してくださいますが、同時に成長した人を願われるのです。
成長したクリスチャンは弟子として多くの人々に祝福された人生を授けることができるのです。
 

1. 救われるには
 

イエス様を信じ救われるためにはどんな条件も努力もいりません。
ただ信じることですただ信じることで救われるのです。
イエス様の弟子を見てもガリラヤ出身の貧しい漁師もいれば雇人のいる漁師もいました。
ただ彼らは人生のむなしさ、苦しみの中で人生の貧しさを体験した人達でした。
救われるには人の力やどんな知識を持っていても幸福を得られないことを認めなくてはなりません。
 

2. 罪を認めて従う
  イエス様がなされた奇跡を見てペテロは恐れ平伏したのでした。
神様に出会うとき、人は自分の罪を知り恐れるのです。
その時に招かれるイエス様にすべてを委ねて従う者でなくてはなりません。
十字架で死なれたイエス様を仰ぎいつも自分の罪の赦しを受けて、従う献身を何度も何度も決断するものでなくてはなりません。
 
3. 人生の使命を悟る者
  クリスチャンはキリストに従う者、似る者という意味があります。
その人生はイエス様と同じ人生を生きるのです。
人々を愛して、神様の祝福を人びとに与えることをするのです。
それは福音を語り神様の赦しと癒しの解放の業をするのです。
神様の御心に生きるとき人生の苦難からの癒しと祝福された人生がやってくるのです。
 
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