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● 2014年10月19日 「隠れた行い」
 

断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。
彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に
見られるためです。
そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。

(マタイ 6章16〜18節)

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イエス様は自分の義を見られないように気をつけなさいと言われました。
クリスチャンの生活には祈りと施しと断食の務めがあり、そのすべては神様のためで隠れていなければならないのです。
断食はあまり生活の中では縁がないように思いますが、自然にしていることがあります。
体調が悪い時や心配事があると食事を取らないことがあります。
でもこのところの断食は宗教的なことを言っていて、当時の宗教者たちは人に見せる断食をしていたようです。
聖書の中のハンナのように悲しみの中で断食をしたり、自分の思いがならないと怒ったアハブ王の断食があり、また神様の命令されたユダヤの7月の贖罪のための断食4・5・10月の断食とエステルの断食等があります。
パリサイ人たちはこれに加えて毎日曜・木曜日も断食をして、自分たちがいかに自己訓練に熱心であるかを主張していたのでした。
 

1. 神様に近づくため
 

神様に感謝をささげ、神様に近づくためにするのです。
ただ願いを聞いていただくためではないのです。
自分の罪を悔い、赦しを求めたり、神様の御心を深く求める時や、臨在の中に安息することを求め断食をするのです。
 

2. 使命遂行の力を得るために
  使徒時代多くの弟子たちは力を得るため断食をしました。
教会には戒規(ディンプリン)というものがあり、これは弟子(デイサイプル)を目的としています。
それは訓練を意味しているのです。
断食は訓練として、自己の罪を悲しみ、無力を嘆いて、身を打ち叩いて自己訓練するのです。
 
3. 隠れた行い
  この祈りと施し、断食は隠れたことを見られる神様に捧げることなのです。
この地上で報いを受けて、神様の賞賛を受けなければ本末転倒です。
ペテロがイエス様から羊を養いなさいと命じられた時、横にいたヨハネのことを尋ねました。
その時にあなたに何の関わりがあるのかといわれたように、人のためではなく神様と自らのためにすべての奉仕をするのです。
 
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