また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、 これを裂き、弟子たちに与えて言われた。 「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。 「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。 罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 ただ、言っておきます。 わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、 ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
イエス様は過越の食事の時に、パンとぶどう酒を弟子たちに与えて聖餐の教えをされました。 パンはイエス様の体、ぶどう酒は命の血であり、十字架の御業を記念して福音が伝えられる所でするように命じられました。 このところからカソリックではパンはイエス様が宿ると考えて聖体として崇めるようになりました。 パウロは後の福音書で記念としてするように命じています。 私たちは聖餐式は十字架の記念として、その救いと恵みを感謝する時としなくてはなりません。
イエス様は十字架の上でその体に多くの苦難を受けられました。 それはアダムの子孫である私たちは罪のためにこの世になって苦しみを受けなくてはなりません。 生きるときに受ける精神的・肉体的な苦難を罪の呪いから人は逃れられないのです。 その罪の苦難を代わりにイエス様は受けられたのです。