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● 2014年9月21日 「ともにおられる主」
 

彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、
御前にひざまずいて言った。
 「主よ。私の息子をあわれんでください。
 てんかんで、たいへん苦しんでおります。
 何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。
 そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、
 直すことができませんでした。」

(マタイ 17章14〜16節)

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イエス様が山の上でモーセ・エリアと出会いその姿が栄光に変えられた時、麓では不信仰な出来事が起こっていました。
それは幼い時より癲癇で苦しんでいる子供を持つ父親が、弟子たちに癒しを求めたのですが癒されなかったことです。
山から下ってこられたイエス様は、その様子を見て弟子たちの不信仰を嘆かれました。
このことから私たちが持つべき信仰とはどのようなものなのか見ていきましょう。
 

1. 不信仰なこととは
 

この親子の持っている苦しみは悪霊によるものであり、幼子は何度も火の中や水の中に倒されたのでした。
原因が明らかなのに弟子たちはこの悪霊を追い出せなかったのです。
そして弟子たちはなぜ追い出せなかったかと尋ねるのでした。
弟子たちはかつて悪霊を追い出し権威を与えられ御業を体験していたのに癒せなかったのです。
また父親も、周りの群衆も神様の御業を信じなかった、 諦めてしまっていたのです。
 

2. からし種の信仰
  からし種のような小さな信仰があれば山が移るように偉大なことができる。
人が信じることが無きに等しいものであっても神様は無限大の力を注ぐことができるのです。
それ程の小さな信仰も持てなかったのでした。
信じることは忍耐強く信じ続けることですが、弟子たちはからし種ほどの信仰さえも持ち続けれなかったのです。
疑うことをせずに信仰を持ち続けることが私たちの信仰の戦いなのです。
 
3. ヨシュアの戦い
  モーセの後継者のヨシュアは経験のない若い指導者でしたが、神様の言葉に対して従順なものでした。
ヨルダン川を渡るとき神様の約束の言葉に従い、エリコを打ち破るときにも神様の御心に従いました。
神様の約束を信じ、御業を信じて自己を制御して信仰を持つことと、従うことによって勝利したのです。
 
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