エリヤが民全体に、
「私のそばに近寄りなさい。」
と言ったので、民はみな彼に近寄った。
それから、彼はこわれていた主の祭壇を建て直した。
エリヤは、主がかつて、
「あなたの名はイスラエルとなる。」
と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取った。
その石で彼は主の名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の回りに、二セアの種を
入れるほどのみぞを掘った。
ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、
「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。」
と命じた。
ついで
「それを二度せよ。」
と言ったので、彼らは二度そうした。
そのうえに、彼は、
「三度せよ。」
と言ったので、彼らは三度そうした。
水は祭壇の回りに流れ出した。
彼はみぞにも水を満たした。
ささげ物をささげるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。
「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。
あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたの
みことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、
明らかになりますように。
私に答えてください。
主よ。私に答えてください。
この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを
知るようにしてください。」
すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、
みぞの水もなめ尽くしてしまった。
民はみな、これを見て、ひれ伏し、
「主こそ神です。主こそ神です。」
と言った。
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(T列王記 18章30〜39節)
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エリヤは旧約の預言者ですが、神様に反逆するアハズ王と民に対して雨が降らないよう祈ると3年6ケ月雨が降りませんでした。
そのためにイスラエル中の川や池は干上がり死者がでるほどでした。
神様はエリヤにアハズ王に会いに行ってイスラエルの神様が真の神様であることを証明することになりました。
カルメル山にバアルの預言者450名とアシュラの預言者400名、アハズ王とイスラエルの全会衆が集まって、祭壇に火をもって答える神様が真の神様であると対決したのでした。
イスラエルの神様は火を持って答えてイスラエルは神様をほめたたえたのでした。
クリスチャンの信仰生活にも火を持って答えていただかなくてはならないことがあるのです。
どのようにすれば神様の奇跡的な業を体験することができるのでしょうか。
エリヤの神様に従った方法に習うなら私たちにも神様は火を下されるでしょう。
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1. |
エリヤの従順 |
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a. |
神様の行けとの言葉があった。
神様が命じていないのに、御心ではないことには答えは来ないのです。
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b. |
行けと命じられると行動をもって従う。
行いのない信仰は死んだ信仰です。
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c. |
信仰は疑うことがあってはなりません。
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2. |
エリヤが築いた祭壇の上に神様は答えられたのです |
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私たちも崩れた祭壇を建て直してその上に神様の奇跡を待つのです。
a. |
礼拝の祭壇を築くのです。
自分の願うことを求めるのですが、神様の願うことを実践しなくてはなりません。
それは礼拝を守りイエス様の築かれた十字架のを崇めることです。
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b. |
御言葉の祭壇を築くのです。
神様は御言葉の約束に従って答えられるのです。
ですから御言葉を知りその中で生活しなくてはなりません。
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c. |
信仰の祭壇を築くのです。
神様の奇跡信仰の賜物です。
信じる者がいなくては起こらないのです。
私たちは夢や幻を聖霊様の交わりの中で描くのです。
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3. |
祭壇に自分自身を捧げる |
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奇跡を求める私たち自身を祭壇に捧げるとは、生きても死んでもどんな結末であろうが受け入れる信仰を持つことです。
神様のなさることは万事が益となるので委ねるのです。
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