さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、
ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。
ヨシュアはその人のところへ行って、言った。
「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」
すると彼は言った。
「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」
そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。
「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」
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(ヨシュア記 5章13・14節)
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この世の中で生きている人は誰でも苦難を体験するのです。
それは人類の先祖であるアダムが罪を犯し、その子孫である人類が罪を継承してきたからです。
しかし神様はこの人類を憐み永遠の死とこの地上の苦難から人類を救うためにイエス様を送り、救いの道を十字架で完成してくださいました。
このみ業によって人類は幸福な日々を過ごすはずなのですが、実際は苦難はなくならずに人びとを捉えているのです。
神様はその祝福に生きるために私たちに戒めを与えられました。
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1. |
神様の主権を守る |
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アダムの失敗は神様のみ言葉に逆らいその主権に触れたことです。
それはサタンが誘惑したように、あなたは神様のように振る舞えるということです。
人生は神様によって預けられたものであって人のものではありません。
誰が人の死と生を自由にできるでしょうか。
人の幸せと苦難、過去と未来これらは神様の主権の中にあるのです。
ですから神様の主権を侵さないように礼拝を守るのです。
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2. |
神様の御心を知り、それに生きる |
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神様の御心は聖書で知ることができます。
しかし一般的な知識を得ても人の人生を左右する決断は、神様の御心を悟らせてくださる聖霊様に聞かなくてはなりません。
祈り、聖書に心がとらわれるときに聖霊様は心の中に神様の御心を知らせてくださるのです。
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3. |
信仰を強くし忍耐を働かせる |
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神様の御心は人が体験したり、想像するような者ではありません。
見たこと聞いたこともないものなのです。
ですから私たちはただ信じて待つだけなのです。
信仰により忍耐して待つときこそ信仰が強められる時なのです。
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