イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは 何もないのに気づかれた。 それで、イエスはその木に 「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」 と言われた。 すると、たちまちいちじくの木は枯れた。 弟子たちは、これを見て、驚いて言った。 「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
イエス様は毎日エルサレムの神殿で律法学者やパリサイ人たちと論争をしていました。 ある日の朝、神殿へ出かける道端に葉の茂ったいちじくの木を見つけ実を求められたのですが、いちじくの季節ではなかったので実はなかったのです。 イエス様はその木を呪うと木はたちどころに枯れてしまったのです。
当時のユダヤ教はローマの支配の中で礼拝が許されていました。 しかし礼拝は形骸化されて神様の御心を喜ばせする礼拝ではなかったのです。 礼拝は人々でにぎわっていたのですが、人々は商売や世の事柄に心が奪われていたのでした。 そのような神様の御心にかなわない実を結ばない信仰は神様から呪われることになるのです。