そして言った。
「私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸で私はかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。」
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(ヨブ 1章21節)
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旧約聖書の中で最も苦難の人生を送った人物はヨブという人でした。
彼は正しく、信仰の人として神様と人々に愛されていましたが、その人生に苦難がやってきたのでした。
それは敵がやってきてはすべての財産を奪い。家族が集まっているときに強い風によって屋根が崩れ、家族を一瞬にして失ってしまうものでした。
しかしヨブは不信仰にならずに、主が与え、主がとられたと言って神様をほめたたえたのでした。
サタンは再びヨブを試練することを許されヨブの体を打ったのです。
その状態を見かねて妻さえも神様を呪って死ぬほうがましと言いました。
ヨブはこのことについても罪を犯さなかったのです。
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| 1. |
人生の苦難の理由 |
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人々は人生に苦難が訪れるとその理由を求めます。
過去の自分が犯した罪やその言動、他者に原因を求めていくのです。
そして苦難は成長するために必要なもののように考えたりするのです。
ヨブはその苦難の理由を見出すことはできませんでした。
唯一毎礼拝ごとに、もしかしたら家族の誰かが罪を犯したかもしれないと思っていたとあります。
思うことは罪ではありませんが、サタンの罠に陥る可能性があるのです。
私たちは言葉と共にその心の思いも聖なるものでなくてはなりません。
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| 2. |
ヨブの罪 |
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3人の友人がヨブを励ましにやってきました。
ヨブのあまりにもひどい状態を見てヨブに忠告をしだしました。
この苦難はきっと罪があるからだと、だから早く罪を認め神様に助けを求めるようにと忠告したのです。
しかしヨブには思い当たることはありません。
その問答のうちにヨブは自分の正しさを主張するあまり神様に逆らってしまうのでした。
自分の義を誇ることかまわないことですが神様の前ではどんな人であろうが義人ではありえないのです。
神様によって義とされるものでなくてはならないのです。
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| 3. |
ヨブの悔い改めと祝福 |
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神様が直接ヨブに語り、ヨブは自分の主張を悔い改めました。
私たちはどんな出来事の中にあっても主の御心として感謝の人生でなくてはなりません。
苦難も喜びの時も信仰を持つものとして主の御顔を求め、恵み期待するものでありましょう。
さらに困難の中でイエス様が約束されたように命を得させるだけではなく、豊かな人生を主に求める者でなくてはなりません。
ヨブは主の恵みを漠然と受けていた人生から、その目で主の恵みを見て、2倍の祝福をもって生きるようになったのでした。
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