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● 2014年2月9日 「クリスチャンの実践と奉仕」
 

そのとき、イエスは群衆と弟子たちに話をして、こう言われた。
  「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。
  ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。
  けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。
  彼らは言うことは言うが、実行しないからです。
  また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとは
  しません。
  彼らのしていることはみな、人に見せるためです。
  経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
  また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、
  広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
  しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。
  あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
  あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。
  あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
  また、師と呼ばれてはいけません。
  あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
  あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人で
  なければなりません。
  だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。

(マタイ 23章1〜12節)

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マタイ21から長い間イエス様はユダヤ教の指導者と争って来ました。
特に激しいものはパリサイ人との争いでした。
それはパリサイ人は当時の人々から尊敬を集めていたからです。
このパリサイ人との論争でイエス様は人々を救いへと導こうとされたのです。
 

1. 彼らの言葉に従い行いをまねるな
 
a. 律法学者のパリサイ人は多くの行いを実践していました。
でもそれはモーセの座に座って言うこと、旧約の教えを間違った実践を人々に求めたのでした。
彼らの熱心は正しい知識に基づいたものではなかったのです。
正しい聖書の教えに基づく信仰の実践をしなくてはなりません。
 
b.

パリサイ人の教えは人々に重荷を負わせて、本来の神様の恵みと祝福に人々を導かなかったのです。
聖書にはない規則を作り教えていたのです。
 

c. 彼らはモーセの座に座っているので、語ることには従順に従わなくてはなりません。
私たちはどんな人から語られようとも神様の言葉には従うのす。
どんな人や教会の組織でも、建てられた指導者の語る神様の言葉には従順するのです。
 
2. パリサイ人の行いの意図すること
  人の尊敬を得るためにされたのです。
それは経札を顔と腕に巻きつけていました。
又、衣のふさを外套の四隅にぶら下げ神様の 選民たる身分と使命を誇示していました。
これらの経札とふさを幅広く大きくすることは人々からの賞賛を得るためでした。
このようなことから宴会の上座を得たり、ラビ・先生と呼ばれることを求めたのでした。
イエス様はラビ・先生と呼ばれるなと言われましたが、先生・父・教師という称号が問題ではなく、それを得ようとする虚栄心、人のあいだで優劣や競い合おうとする世俗的なことを禁じておられるのです。
その理由として私たちの父はただ一人だからです。
父なる神様のもとでみんなが兄弟姉妹だからです。
 
3. 仕えあうこと
  イエス様は一番偉い人は仕える人だと言われました。
それは高い身分を欲せずに生きなさいではなく、どんな人であっても仕えようとする謙遜を身に着けることを言われたのでした。
教会はイエス様の体としての働きと組織的な部分を持っています。
身分や働きの違いや指導する者やされる者という組織でも人に奉仕をする共同体なのです。
人からの報いを求めず、ただ神様からの報いを信じて信仰生活を営むことをしなくてはならないのです。
 
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