イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。
すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。
イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、
彼らの病気を直された。
夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。
「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。
ですから群衆を解散させてください。
そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」
しかし、イエスは言われた。
「彼らが出かけて行く必要はありません。
あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」
しかし、弟子たちはイエスに言った。
「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」
すると、イエスは言われた。
「それを、ここに持って来なさい。」
そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、
弟子たちは群衆に配った。
人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごに
いっぱいあった。
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(マタイ 14章13〜20節)
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私たちは嬉しいことや楽しいことがあると愛する者たちに贈り物をしたりします。
その贈り物が大きかったり、良いものだから嬉しいのではなく、その中に込められた愛が嬉しいので喜びを持つようになるのです。
でも、これらの贈り物はいくらもたたないうちに古びて消えていくものばかりです。
しかし、神様が下さった贈り物は、この世のものに勝って永遠に古びず価値のあるものなのです。
神様が下さった贈り物は多くありますが、もっとも偉大な贈り物はイエス様ご自身であります。
でも、イエス様は十字架のみ業の後に天に戻られました。
そののちに来られた方が聖霊様なのです。
この聖霊様は神様から送られた人類への贈り物なのです。
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1. |
聖霊様は命の水 |
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イエス様はサマリアの女に言われたよう人生を生かし豊かにするものが聖霊様なのです。
この命の水は求めるものが誰での受けることができるのです。
神様はどんなっことでも求めよ言われました。
その究極の祝福のもとは聖霊様です。
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2. |
聖霊様は必要 |
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アダムの子孫である人類は、その罪のために呪われた人生を生きています。
どこに行っても、どんなに努力しても望む人生を実現できず、茨とあざみの人生であります。
この人生の祝福をもたらす方が聖霊様なのです。
聖霊様が来るとその霊よ魂、肉体に神様の命の力がみなぎります。
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3. |
聖霊様の恵みを受ける |
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a. |
人の心の中にある罪の貧困の意識を信仰の意識に変えるのです。
敗北や挫折の心に変えて神様によって何でもできる心に変えるのです。
人の努力が必要なのです。
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b. |
思いを変える。
言葉とその行いを信仰あるもののように変化させるのです。
否定的な思いと言葉は困難な人生を創造させるのです。
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c. |
聖霊様を悲しませないことです。
それは聖霊様の計画を邪魔せずに、すべてに聖霊様に聞き従順さを持つことです。
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